『吉本新喜劇』は、1959年3月1日、「うめだ花月」劇場の開場と同時に、「吉本ヴァラエティ」として発足。
「テレビ時代を睨んだ新たな演芸のビジネスモデル」として、うめだ花月と毎日放送(テレビ)の看板となるべく育成された。
その基本構想は、"徹底的なドタバタをやる""理屈は抜きにする""悪者は出さない""物語はシンプルに"の4点。
1962年に「吉本ヴァラエティ」は、現在の『吉本新喜劇』へと名称を変更する。
「うめだ花月」「なんば花月」「京都花月」の3館にファンは続々と足を運ぶようになる。
しかしながら、誕生から約30年経つとパワーダウンが見え始め、吉本新喜劇の再生と、全国区に売り出そうという方針の下、「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」を打ち出す。一度は存続の危機にまで至った『吉本新喜劇』だったが、このキャンペーンの成功により復活を果たし、ニューヨーク、ロンドン、台湾、上海と、海外公演を成功させるまでに至る。2006年にはハリウッドの「コダック・シアター」で、吉本新喜劇が上演された。
2019年3月1日に60周年を迎え、『吉本新喜劇ワールドツアー~60周年それがどうした!』と題し、初めて日本全国47都道府県にもれなく出掛けての吉本新喜劇公演を上演。さらに中国、マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイと、海外公演を実施、延べ13万人の動員でワールドツアーを成功させる。
2020年にはじまったコロナ禍により急激な客層の変化や世代交代といった新たな課題に対応すべくレジェンド座長であった間寛平が吉本新喜劇初のGM(ゼネラルマネージャー)に就任、観客&ライブ重視の姿勢を明確に打ち出した。若手育成のための専用劇場設置や新喜劇初の人気投票である新喜劇総選挙、投票結果により出演が可能となる新喜劇まつり、新喜劇出前全国ツアーと次々に施策をうって、圧倒的な集客力を誇る吉本新喜劇へとさらに進化すべく全座員一丸となって活動を続けている。
現在、間寛平GMとすっちー、酒井藍、アキ、吉田裕の4座長を筆頭に109名が所属、「なんばグランド花月」、「よしもと祇園花月」にて1年365日上演され日本一の動員数を誇り、2024年にはついに65周年を迎える喜劇集団である。